大宮宿(おおみや-しゅく)は、日本の近世にあたる江戸時代に整備され、栄えていた宿場町。 中山道六十九次のうち江戸・日本橋から数えて4番目の宿場。
所在地は、江戸期には東海道武蔵国足立郡大宮宿。 現在の埼玉県さいたま市大宮区(旧・大宮市)にあたる。
道中奉行による天保14年(1843年)の調べ[4]で、町並みは9町30間(約1.04km)。宿内人口1,508人(うち、男679人、女829人)。宿内家数319軒(うち、本陣1軒〈在・宮町1丁目〉、脇本陣は9軒で中山道の宿場としては最多である。問屋場4軒、旅籠25軒。他に、紀州鷹場本陣〈北澤家〉1軒、等あり)。
宿場は当初、本村(のち、高鼻村、さらに、宮町)、北原村、右衛門八分(のちの堀之内村)、甚之丞新田(のち、寿能村、さらに、大門町)、新宿中町、新宿下町、吉鋪新田の7組で構成され、これらを大宮宿と総称した。 のち、宮町・大門町・仲町・下町・吉敷町の5町構成に形を変えながら集約・発展を見せている。
『木曾街道 大宮宿 冨士遠景』
天保6- 8年(1835-1837年)、渓斎英泉 画